ヒトラーがホロコーストをやった本当の理由



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ] キーワード: ヒトラー ナチス ユダヤ


17件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[17] 下部構造と上部構造

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 9月13日(水)10時21分18秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

ヒトラーはユダヤ人の女性と子どもを殺す理由について特に言及していない。ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させる、つまりその全員を殺すことの根拠には幾度となく触れている。
いくつかを挙げると、ユダヤ人全員を殺すことを、ユダヤ民族に民族としての責任を取らせると形容している。その責任とは、ユダヤ民族は第一次大戦と今の大戦を起こした張本人であり、その結果二度にわたり膨大な数のドイツ人の大人と子どもが命を落としている。その責任を民族としてのユダヤ人に、つまりユダヤ人全員に取らせるのだと。
また、はじめにユダヤ民族の方からドイツ民族を絶滅させようと仕掛けてきたのであるから、返り討ちにして、反対に絶滅させてやる、とも言っている。
さらに、今回の大戦が起きる前に、自分はユダヤ人に対して、過去に一度世界大戦を起こしたことに物足りず、再び世界大戦を起こすようなことがあれば、ヨーロッパのユダヤ人は絶滅されることになるだろうと警告した。ユダヤ人はそれを無視して今回の世界大戦を起こしたのであるから、その警告通り絶滅させてやるのだ、とも言っている。

ヨーロッパ・ユダヤ人の全員を消滅させる理由として、ヒトラーはこのように説明している。しかし、筆者にはこの理由付けは観念的に過ぎると感じられる。ヨーロッパのユダヤ人には、大人もいれば子どももおり、男もいれば女もいる。住んでいる地域も異なる。その区別に触れず、一挙に全員殺害の根拠を述べているのである。筆者の感覚ではその辺がいかにも不自然である。ヒトラーは最初から全員を平等的に排除したかったのだろうか。排除する必要の度合いに差はなかったのだろうか。

筆者の見解はこうだ。すなわち、成人男性(正確には、活動的な成人女性、活動的な高齢男性も含まれる)を消滅させる理由とその他の者(女性一般、子ども、老人)を消滅させる理由は異なっていた。成人男性を消滅させる理由と、その他の者を消滅させる理由とは異なるものであったが、前者を消滅させる決定と後者を消滅させる決定とが、ヒトラーにおいて同時に下され、結合した結果、ヨーロッパのユダヤ人全員の消滅すなわち絶滅を目指す行動となった、と。
成人男性は、ドイツに敵対する危険分子として排除の対象とされ、女性一般、子ども、老人は、それらの者を生かしておくために必要な、食糧をはじめとする経済支出を避けるために抹消の対象とされた。そしてヒトラーにとって、成人男性を抹殺することとその他の者を消滅させることのいづれが重要であったかを考えるとき、比較を絶して前者が重要である。成人男性を抹殺することは、ユダヤ人を絶滅させる行動の本義であり、絶対的主目的である。その他の者を消滅させるのは副次的あるいは付随的行為に過ぎない。

ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させるについてヒトラーが掲げた3つの理由は、彼の本心そのものであり、何かしらの打算に発した作り話ではない。しかしやや観念的である。一方、筆者が推測する2つの要素からなる理由は実際的なものである。しかし両者は相矛盾するものでなく、両立し併存している。実際的理由を下部構造に、観念的理由を上部構造に譬えることも可能か。




[16] 殺される順番

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 8月31日(木)09時12分11秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

ドイツ人の支配下にあるユダヤ人のうち、誰が先に殺され、誰があとに殺されるか、その順番を簡単に説明してみる。

ドイツでは、東方の新しい土地への移住とか、東部での労働に従事するためとかの理由をつけて、家族単位でドイツ東方へ鉄道輸送した。実際に到着したところはポーランドの収容所であった。収容所についたら、壮健な成人男女の中からドイツのための労働者としてしばらく生かされる者が少数選抜される。これらはすぐには殺されない。子ども、老人、大部分の女性、労働者に選抜されなかった成人男性はすぐに殺された。労働者としてしばらく生かされていた者も、過労や病気により死んだり、用済みになったとして処理されたりして、基本的に全員死に追いやられた。連合国軍が近づいてきて、収容所のドイツ人が逃げ出したため、運よく生き残ったユダヤ人がごく少数いた。

西ヨーロッパのユダヤ人の殺され方はドイツのユダヤ人のそれと基本的に同じ。
ハンガリーのユダヤ人も同じ。

ポーランドのユダヤ人は、ほぼ全員がゲットーに入れられていた。これをゲットーの外に設けられたガス施設に鉄道貨車やトラックで輸送して処理した。しかし、ドイツや西ヨーロッパやハンガリーからのユダヤ人の場合のように収容所に着いたときに選別されるのではなく、ポーランドの場合、ゲットーを出る時点ですでに選別されており、収容所についたら、輸送されてきた全員がすぐに殺された。
ゲットーからはこんな手順で運び出された。ある日、ドイツ人(親衛隊)からゲットー管理人に任命されているユタヤ人指導者対し、ゲットーの外に移動させるユダヤ人の人数と期日が告げられる。まえもってドイツ人からユダヤ人指導者に対し、役に立たない者から先に移動させよとの、指示が与えられている。そこでユダヤ人指導者はその基準に基づき、そのとき移動させる人名リストを作成する。このときすでにユダヤ人指導者はゲットーの外への移動が死を意味することを知っている。老人、病者、労働者として登録されていない大人とその家族(当然、子どもと幼児が含まれている)が先にゲットーの外に送りだされる。しばらくして再び、ドイツ人から次回の輸送の人数と期日の通知が来る。今度は労働者として登録されている大人とその家族の番になる。労働者本人を残してその家族(妻と子ども)が先に行く。そのあと労働者本人も出てゆく。単純労働者が先で熟練労働者があとだ。つぎに、ゲットー管理組織に勤めていた者(いわばゲットーの公務員)とその家族が出てゆく。最後にゲットー管理人であったユダヤ人指導者とその家族が、今まで出ていった人たち同様、ガス室に向かってゲットーを出てゆく。ゲットーから人がいなくなる。ドイツ人はこれをゲットーの解体と呼んだ。

ソ連域。田舎では、ユダヤ人は住んでいるところの近くで射殺された。壮健な男性の一部が、ドイツ軍のための道路整備に使役するなどの目的でしばらく生かされたが、それ以外は全員速やかに殺害された。田舎で殺し切れないユダヤ人は都市のゲットーに移動せられた。都市のユダヤ人はすでにゲットーに押し込められていた。ドイツ人はゲットーに集めたこれらユダヤ人のほとんどを殺すことになる。ゲットーの住民は、労働者として登録されている者を除いて、順番にゲットーの外に連れ出され森などで射ち殺された。一部はポーランドのガス室に送られた。労働者として生かされていた者も、最後には、すなわちドイツ人の撤退時には、殺された。


このように、ドイツ人の支配下に入ったユダヤ人のうち、殺されるまでの時間が長かったのは、ドイツのための労働者として選抜された、成人ユダヤ人であった。大部分が男性で、女性は少なかった。身体頑健で肉体労働に向いたり、熟練技術を有する者の中から、必要な数をドイツ人が選んだ。そういう者も必要な期間に限り生かされていただけで、病気になったり衰弱したら死ぬに任された。労働に耐える力をかろうじて保持していた者も、用済みになったら殺された。ドイツ人は支配していた地を去るとき、管理下にあったユダヤ人労働者を殺して去るか、ドイツ本国により近い収容所に移動させるかした。生かして残したら、あとから来るソ連軍の協力者になる者もいるし、ドイツ人がユダヤ人に行った残虐行為が暴露されるからだ。別の収容所に移動させたのは、労働力として引き続き利用する目的もあった。
ドイツ人の支配下に入った子どもと老人と大部分の女性については、生きながらえる可能性ははじめからなく、すぐに殺されるか、しばらく時間をおいたのちに殺されるかの違いがあるだけだった。これらの人々は、ドイツ人の手中に落ちたその時点で、自動的に、死を運命づけられていたのである。



[15] 読みだしたらやめられないホームページのご案内

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 7月 3日(月)13時56分59秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

この掲示板の管理人・テルが作成した、ホームページがある。テーマはこの掲示板と同じで、ヒトラーがホロコーストをやった理由、だ。結論もこの掲示板に記されたものと同じだが、その結論に行く着くまでの道程がやや詳しく書かれている。8万文字程度の文章だが、興味を持つに足りる箇所もあると思うので、時間のある時読んでいただけたら嬉しい。こちら⇒ https://teruosan.jimdo.com/



[14] 食糧目当てで殺した?

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月28日(水)11時34分55秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

ナチによるユダヤ人大量殺戮は、ユダヤ人の消費する食糧が狙いだった、とする学説がある。確かに、大量殺戮が開始された時期、ドイツ本国とドイツ国防軍は食糧不足に悩まされていた。その時期、ポーランドとソ連のゲットーには合わせて二百数十万のユダヤ人がいたし、ハンガリーにも70万ほどいた。(ヒルバーグ氏の著書によれば)ドイツ当局は、1944年6月に、ハンガリーから四十数万人のユダヤ人をアウシュヴィッツに移送し終えたとき、ハンガリー政府に対し、その数のユダヤ人が消費するのに相当する量の食糧をドイツに輸送するよう要求し、ハンガリー政府はこれに応じた。
当時、ドイツ本国(旧ライヒ)のドイツ人人口はおよそ6000万だった。ドイツとドイツ支配下にあるポーランドとソ連のユダヤ人の消費する食糧の量はドイツ人の消費量に対し比較にならないほど少量だったが、それでもそれをドイツのものとすれば、ドイツ人と国防軍の兵士が口にするパンの量はわずかでも増えるわけだ。
確かに、1942年後半以降、ソ連、ポーランド、フランスなどからドイツに輸送する食糧の量は増えている。しかしそれは、それらの地にある人口全体が消費する食糧の一部をドイツが自らのものとした結果であって、そこにいたユダヤ人を抹殺したことが輸送量増加の第一の原因ではない。量の増加に少しは役立ったのだろうが。
ドイツ人はソ連に侵攻開始してすぐさま、遭遇したユダヤ人男性の一部を殺し始めている。この時期、ドイツ人はソ連との戦争の早期決着にいまなお自信を有しており、国防軍は現地で使用する食糧がこのさき不足することなど心配していなかった。
ユダヤ人大量殺戮は、ドイツの抱えていた食糧不足の解消にいくらかは役に立ったのであろうが、ヨーロッパからユダヤ人を消し去ろうとする第一の理由は、下の[4][5]に記したように、別にあった。



[13] [10]の追記

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月28日(水)11時26分5秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

我が国おいて高い評価を受けている学者さんが、ハンガリー・ユダヤ人のアウシュヴィッツ収容所への移送は、労働力目当てであった、と書いている。確かに、収容所に到着した者のうち、労働力として利用可能な者は、高い確率でそうされた。
1944年春、ドイツは戦闘機工場の新設を計画しており、その建設工事に大量の労働力を必要としていた。軍需省はそれをヒトラー本人に相談した。ヒトラーは、この先アウシュヴィッツに到着することになるユダヤ人のうち、労働に適する者を、その目的に使用することを承認した。
先に、一部の例外を除いたハンガリー・ユダヤ人全員のアウシュヴィッツ移送が決定されていて、その中から、労働に適する者を労働力として使用することになったのであり、労働力として利用するために、ハンガリー・ユダヤ人の全員移送を企図したわけではない。ハンガリー・ユダヤ人の全員移送を決定した、ヒトラーなりの理由は下の[10]に書いた。



[12] ティモシー・スナイダー博士

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月20日(火)15時09分5秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

中東欧史とホロコースト史を専門とする、アメリカのティモシー・スナイダー博士が書かれた本を遅ればせながら読んだ。一つは「ブラッドランド」、いま一つは「ブラックアース」。前者は筑摩書房、後者は慶応義塾大学出版会から邦訳が発行されている。「ブラッドランド」には論文全体の一部としてホロコーストが言及され、「ブラックアース」はホロコーストそのものに焦点を絞っている。ホロコースト研究に画期的視点を導入しているとの書評を目にしたので読んでみたのだが、巷間騒がれているほどの目新しい観点は見当たらなかった。ただし、エピソードが豊富なので、興味深く感じる読者は多いと思われる。

「ブラッドランド」にかくなる趣旨の記述がある―(1941年12月頃)軍事情勢に変化が生じ・・・・・・、ソ連・ユダヤ人の虐殺がエスカレートした。これはヒトラーにとってユダヤ人の排除そのものが戦争の目的になってしまったことを表している、云々。

「ブラックアース」には次のごとき文章がある―ナチスの観るところ、人間以下の存在が住む特定の地域の植民地化が、人間とはいえぬユダヤ人の支配からこの惑星を解放することへと最優先順位を譲ることは、誰にも説明の要がなかったのだ、云々。
わかりやすく言い換えると、(1942年初頭)下等人間であるスラヴ人が住むソ連を植民地化することより、非人間たるユダヤ人の支配から地球を解放することを優先する方向となるのは、ナチ上層部にとって自然なことであった。

博士のこれら見解に対する諸氏の評価は如何?



[11] 八回目の説明

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月 9日(金)15時13分40秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

八回目の説明です。

欧米の学者の何人かが、ヒトラーの目的には二つあって、一つはドイツによるヨーロッパ支配を実現にすること、いま一つはヨーロッパからユダヤ人を抹殺することであった、などと書いている。そして、ヒトラーは、戦争に勝ち目がなくなり、ヨーロッパ支配の実現は不可能と確信するに至って以降、残ったもう一つの目的、すなわちヨーロッパのユダヤ人の抹殺に全力を傾けることとなった、などと続ける。幼稚な論理だ。まずヒトラーの二つの目的を並列的な価値として位置付けているのが安易だ。この作文で述べてきたごとく、二つの目的は、ヒトラーにとって同等の価値を有するものではない。前者こそがヒトラーにとって最大、究極の目標であった。ところで、ヒトラーが、この戦争は負け、と完全に観念したのはいつなのか。1945年1月アルデンヌ攻勢を中止した、その頃だ。同時期、ヒトラーが最後の頼みとする新兵器が戦争の形勢転換には力不足であることも判明していた。彼は、万事休すを実感した。それでは、それ以降ヒトラーはユダヤ人抹殺に狂奔することになったのか。そんなことはない。ユダヤ人の大量殺戮は1944年夏にハンガリー・ユダヤ人の大部分を抹殺し終えたときに完了していた。そのときには、ポーランドとソ連西部のユダヤ人巨大集団は絶滅せられていた。ドイツ帝国のユダヤ人も消え失せていた。ヒトラーは戦争の敗北を確信して以降、ユダヤ人を殺すことに興味を示さなかった。そもそもそのときにはヨーロッパ・ユダヤ人の大部分は彼の計画通りすでに消滅していたのである。



[10] 七回目の説明

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月 9日(金)15時09分34秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

七回目の説明です。

ハンガリーのユダヤ人55万人は戦争末期の1944年春から夏にかけて殺された。ヨーロッパの戦争におけるドイツの敗北が決定的になっていたこの時期にユダヤ人を殺すのは、ただ殺すことだけが目的だったとする見方がある。しかしこの時期ヒトラーは、いまだドイツの敗北を受け入れていなかった。ジェット戦闘機が近々ヨーロッパの空から英米の爆撃機を追い払うとか、ロケット兵器がイギリス国民の士気を破壊するとかの希望を抱いていた。連合国の分裂すなわち米英とソ連の決裂を期待し続けてもいた。事実1944年6月のこの時期、ジェット戦闘機は実戦投入直前だったし、VⅠロケットはロンドン爆撃を開始した。VⅡロケットも近く実戦配備が見込まれていた。ヒトラーにしてみれば、これら新兵器の投入により戦争の形勢が好転するまで、ソ連と対峙する東部戦線が崩壊することがあってはならなかった。それはドイツの東の防壁が崩れ落ちることであり、この戦争全体におけるドイツの敗北を意味するからだ。ヒトラーの考えでは、その戦線を保持するためには、戦線の背後の危険要素、つまり反ドイツ・親ソ連の巨大人口をまえもって排除する必要があった。ヒトラーは東部戦線保持のためハンガリーからユダヤ人集団を取り除こうとした。ヒトラーにとってハンガリー・ユダヤ人の抹殺は戦争遂行上の意味があったのだ。



[9] 六回目の説明

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月 9日(金)15時05分40秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

六回目の説明です。

ヒトラーにおいて、自分の宿望の実現を妨害する者に対する憎しみが大量殺戮を招いたという側面も。

ヒトラーの最大の夢は自分がヨーロッパの支配者になることであった。これは宿望とも呼びうるものであった。政治家としての活動を開始したころにはすでにこれを将来の夢として抱き始めていたらしい。政権を獲得しドイツの支配者となったとき、彼にとってこれは実現可能な夢となった。ドイツの支配者となった数年後には、ベルリンをヨーロッパの首都にふさわしい巨大都市にすべく、その中心部の都市計画を作成させている。凱旋門、官邸、議事堂、国民集会場などが配置されているが、驚くべきはそれら建造物の途方もない巨大さだ。ヨーロッパの首都どころか人類の首都と呼んでもいい。ヒトラーはこの新しいベルリンの縮尺模型をつくらせ、しばしばそれを眺め入った。この場所からヨーロッパの主人としてヨーロッパ諸民族を支配する自分を想像していたのであろう。
ところが、この夢の実現を妨害するのが、ヨーロッパとアメリカにいるユダヤ人だった。すでに西ヨーロッパは支配下におさめ、今やっているソ連との戦争に勝てばこの夢は実現するのであった。ソ連をやっつければ、イギリスはヨーロッパ大陸の戦争に介入する基盤を失い、大陸の戦争から手を引く。アメリカもイギリスが手を引いた大陸の戦争に介入することはない。ウラル山脈からポルトガルまでのヨーロッパ大陸はドイツのものとなる。
そうであるのに、1941年6月にドイツとソ連との戦争が開始されるや、7月にはイギリスがソ連と相互援助条約を結んだ。相互援助と言っても実際はイギリスからの一方的援助であった。さらに11月上旬にはアメリカが武器貸与法をソ連に適用することになって、ソ連の必要とする軍需物資の膨大な量が米英からソ連に流れ込むことになった。これをやったのはチャーチルとローズヴェルトだ。ヒトラーの信念において両人にそれをやらせたのは英米にいるユダヤ人であった。ユダヤ人と両人は主人と家来の関係にあるからだ。ユダヤ人の牛耳る両国のマスコミも両国民に向かってドイツへの憎しみと徹底的対決を煽っている。アメリカとイギリスとをソ連に対する軍事援助に走らせ、ドイツを敗北させんとしているユダヤ人。ソ連との戦争に敗れれば、ドイツ国家は破滅し、ヨーロッパの指導者にならんとするおのれの宿願は無きものとなる。ユダヤ人憎し。ユダヤ人の一番嫌がることをしてやる。つまり種族として絶滅させてやる。1941年11月にヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅させる決心をしたときのヒトラーにはこのような感情も存在したのであろう。だからその時点で、戦争に勝つため、国内の戦争士気の維持のため、占領地の治安確立のためにユダヤ人を抹殺するというプラグマティックな側面と併せて、憎しみという感情から子どもを含めてできるだけ多くのユダヤ人を殺してやるという側面もあったわけだ。ヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅させる意義の第一が前者にあったことは言うまでもないが。その後アメリカがこの戦争に参戦することになり、ドイツの諸都市に対する英米の空爆が激しさを増し、一番肝心のソ連との戦争が劣勢に傾きだすようになって、ヒトラーのユダヤ人憎しの感情はいよいよ高まり、一人でも多くのユダヤ人を殺したいとの欲求は彼の脳内において力を増した。それでもヨーロッパのユダヤ人を殺す第一義は依然として先に述べたプラグマティックな目的にあった。ドイツとポーランドとソ連のユダヤ人を殺し続けたのもその目的のためだったし、ナチの行った最後のユダヤ人巨大集団抹殺であるハンガリー・ユダヤ人の場合もそうだった。



[8] 「わたしの名は。」さんへ

投稿者: 管理人・テル 投稿日:2017年 6月 9日(金)00時14分23秒 p227032-ipngn4901souka.saitama.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

読んで頂き感謝。辛口評を期待します。


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