京都大学の前身・源流は実は大阪の舎密局だった




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[2] (無題)

投稿者: こあら 投稿日:2017年 4月10日(月)08時59分37秒   通報   返信・引用   編集済

◆以上が、今日一日で調べた大阪遷都にまつわる舎密局関連の変遷です。造幣局も大阪に設立されたのは同様の事情があったのかもしれませんね。
これまでよく親戚などが集る機会があると、決まって都市談義になったものです。「大阪はどうの、東京はどうの、京都はどうの」というわけです。そこでよく聞かされたのは、大阪は旧制高校のナンバースクールから外れ、大阪帝国大学も一番最後というテイタラク・・・。そればかりではありません。
◆大阪人が「大学は商売のじゃまやからイランと追い出したんや」というわけです。実際京都大学の前身が大阪に設立されながら、京都に移転したのも「大阪人がいらんと追い出した」とまことしやかに言われるようですが、これはでっち上げでしょう。べつに邪魔になるわけでもないです。
「それほど大阪人は愚かだった」と言いたいだけです。何という自虐の極みでしょうか。
おそらく事実は政府の策略と思います。第三高等学校になる直前でしたが、大阪から京都に移転する理由を当時の校長が述べています。
◆明治政府のその後の政策をみても大阪を重視することはありませんでした。大阪を恐れたのか意図的に公的機関が大阪に置かれることはなかったようです。
大阪帝国大学が設立されたのは昭和6年だったと思いますが、大阪から帝国大学設立の要望が度々出されながら政府は腰を上げなかったのです。しかも資金は市民の寄付によって設立にこぎつけたようです。
大阪大学の源流は北船場にあった「懐徳堂」と、緒方洪庵の「適塾」とされています。どちらも私塾なので法的つながりはないとされていますが、自由闊達な学術都市の精神を継承し、大阪大学が保存管理に当っています。




[1] (無題)

投稿者: こあら 投稿日:2017年 4月10日(月)08時57分23秒   通報   返信・引用   編集済

舎密局(せいみきょく)はわが国の高等教育の黎明期に最初に設立された機関で、大阪に設立されました。明治新政府の直轄事業として建設に当りましたが、東京遷都が決まり工事は中断しました。
舎密とは理化学の意で、当初江戸に設立される予定の理化学校を大久保利通の大阪遷都にそって、大阪に移して開設されることになったのです。明治元年10月4日に起工されましたが、この年7月東京遷都が決まり、明治2年3月に天皇も東京に移られ、大阪遷都の夢は消えてしまいました。このため中断していた舎密局建設は明治2年大阪府管轄となり工事再開、同年5月1日に開校しました。
しかし舎密局は明治政府の初期の文教政策の変遷につれて変革を迫られ、きわめて短命に終わりました。開校の翌年の明治3年には校名が理学校、ついで理学所から開成所と変わり、明治5年に定められた新たな学制によって、舎密局は閉鎖され、人材も物品も東京に移されて、後の東京大学開設に資することになったのでした。
大阪の舎密局は後に普通教育機関の第一番中学校から第三高等中学校となりましたが、約20年大阪にあって、明治22年に京都に移転し旧制第三高等学校となりました。京都大学のHPの沿革を見ると、明治2年5月「大阪に舎密局開校」と明確に書かれています。
京都大学の前身・源流は実は大阪の舎密局だったのです。京都にも京都府が「京都舎密局」を独自に造りましたが、こちらは京都大学と直接の関係はなかったようです。


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